クルマにまつわる日々の生活を気ままにつづった日(週)記帳。−見切り発車中(;^_^A−
初代クラウンでプチ盛り上がりを見せておりますので、(ネタも
無いことですし)3連発でございます。
古いアルバムを捜しても、クルマとのショットは殆ど見当たり
ませんが、何故か初代クラウンとのショットが3枚も見つかり
ました。
表題の写真はオーナーにどこかに連れていって貰った時だと思
いますが、全く記憶がありません(;^_^A
↑
表題と同じクルマだと思います。場所は当時の自宅付近(何と
これでも大阪市内)。
↑
写真を見比べて分かったのですが、これは後期型ですね。
分かりづらいですがサイドモールが違います。
調べたら、初代のデビューは1955年、2代目が1962年
デビューですから、以後現行13代目までほぼ4年毎にキッチ
リFMCを繰り返してきたクラウンとしては初代は異例に長い
モデルということになります。
僕の背格好から先の2枚は1959年か60年頃ですから、前
期型というより中期型でしょうか。3枚目の写真は正真正銘最
後期型で、2代目にバトンタッチする直前1961年か62年頃だ
と思います。
個人的に、クラウンは長いこと憧れのクルマでしたが、残念な
がら初代はそれほどではありませんでしたね。
今改めて見るとなかなか味のあるデザインだと思いますが...
飛び出すウインカーは、外国車では 「セマフォー」 、国産車では 「アポロ」 と呼ばれていたヤツですね。
それにしても、昔の写真がよく残っていましたね。
アルバムも含めて、引越荷物や整理が大変だったろうと、今になってお察しします。
あのウインカー、アポロって言うんですか?
さすがに後期型では不採用みたいですね。
トラックやバスにはしばらく使われていたように思います。
ところで、初代クラウンの給油口ってどこか分かりますぅ?
当時の写真は絶対数が少ないですし、大きなアルバムに貼り
付けてあるので、割と簡単に見つかります。
問題は中学以降、整理していないので大変です。
”アポロ“ は、昭和40年頃に市の中心街へ行った帰りのバスに付いていました。
一緒に行った父親に、 「あれは何だ?」 と聞いたことをはっきり覚えています。
その当時、市中心部と拙宅方面を往復する路線バスには車掌さんが乗っていて、車内で切符を売っていました。
途中の踏切では、手前で一旦車掌さんがバスから降りて、バスを先導しながら踏切を渡り、再びバスへ乗り込むということをしていました。旧き良き時代ですね。
クラウンの給油口は、テールライトをカパッと開けた内側でしたね。
当時の自動車の製造技術では、わざわざボディーに穴を開けて蓋を付けるよりも、既にある開口部を利用するほうが簡単だったのかも知れませんね。
さすが森さん、よくご存じで。
ただ、給油口を目立たなくする工夫は技術的な問題では無く、
デザイナーのこだわりということにしたいですね。
何時の頃からか、安全性やスタンドの利便性?からかリアフ
ェンダーになっちゃいましたが、あんなものは無いに越した
ことありませんから...
リアのナンバープレートとかガーニッシュ更にはリアピラー
が蓋になっているクルマがありました。
しかも、当時はオープナーなど無く、鍵付きのキャップで、ス
タンドの店員にキーを渡して給油して貰ったものです。ある
意味スタンド泣かせの隠し蓋(笑)
目立たせない工夫としては、2代目クラウンのウインカーレ
バーが面白かったです。
正に旧き良き時代でした。